大学ラグビー対抗戦2011年10月24日 20時48分21秒

昨日早稲田VS筑波をJスポーツで見た。結果は、筑波の圧勝。
7:21 見ているほうとしては、フラストレーションのたまる試合だった。

早稲田は、攻めが単調で、相手のディフェンスを崩せない。
これは、10番のゲームメークの問題と思う。

今年の早稲田は、キックをせずに、すべてボールをまわして戦ってきた。相手が格下ならば通用したところ、同じかそれ以上では、とてもリスキーだ。
案の定、筑波相手に、同じ戦法で戦ったが、通用しなかった。
私の感覚では、陣地(エリア)を30%くらいしか取れてなかったのではと思うくらい、自陣での戦いを強いられていた。これは、ボールを蹴らずにまわしていたから、危険エリアから抜け出す前につかまってしまっていたことによる。
ラグビーに限らず、敵陣で戦うことは、勝利の方程式だ。
敵陣で、ぺナルテイーをもらえれば、PGで点が入る。

したがって、自陣に居る時は、一刻も早く敵陣に入ることを心がけることだ。そのための手っ取り早い方法は、キックである。
キックは、敵にボールをたやすく渡すことだ、というかもしれない。確かにそうだ。でも、ハイパントなどは、キャッチ時点で相手にプレッシャーを掛ければミスが出てこぼす可能性もある。情勢に応じたキックの有効性を覚えなければならない。

昨日の試合は、完全に筑波の術中にはまった。
筑波にすれば、早稲田の9番、10番はパスするだけで決して、せめて来ない。そうなれば、ディフェンスは楽だ。9,10を除いて、11から15に的を絞ればよいのだから。

デイフェンスラインに穴が見出せなければ、下げさせるために裏をキックで狙うことが肝要だ。ディフェンスにしてみれば、前に出る事だけ考えていれば、前に出ることに集中した、良いデイフェンスが出来る。

ところがキックで、裏に蹴られれば、後ろに下がらなければならないため、前に出る威力がそがれることになる。何回かに一度は、それで、崩せるようになるのだ。前、後ろ、横と揺さぶりをかけなければ、相手防御は簡単には崩せない。

昨日の試合は、キックの重要性と、相手によって攻め方を変える柔軟な頭、そしてタックルの基本を痛感した。

次の試合は、今年のチームの真価が問われることになる。
昨年度の大学日本一の帝京が相手だからだ。
このままでは、勝てないぞ。さあ、どうする、早稲田。

東京2011年10月25日 18時45分44秒

今日は東京出張だ。
いつもより、10~15分遅く家を出て、そのまま名古屋へ向かった。

名古屋から、のぞみで東京へ。
今日はいささか気になることで、出張だ。ある会での発表の順番が回ってきたのである。1年半に1回の頻度で、回ってくるのであるが、実は、1年前に回ってきた時は、断った経緯がある。
なぜ断ったか、それは発表する自分の団体の概要を理解してないから、不安であったからである。

それから1年強が過ぎ、何とか団体の内容も理解してきたが、いかんせんたいしたことをやっていないものだから、発表しずらい。
他の団体は、所員もそれなりに居て、予算も、かなりの額で活動しているのに、それと比較すると、全く遊びの団体である、そこに多少の負い目を感じているから、発表しずらいのである。

でも事実を脚色することは出来ないから、ありのままを発表した。
それしかないし、事実を知ってもらうことが重要なので、背伸びする必要も無い。
でも、次回は何を発表するか、中身に窮する。

東京は暑かった。名古屋は、東京と比べると寒い感じがした。
単に、時間による感覚なのか?

いよいよ秋も深まるような気がした。

青葉台2011年10月26日 20時54分03秒

昨日、東京での会合の後、青葉区青葉台へ行った。
ここは、20年前に3年間家族で住んでいたところで、その当時は、緑区青葉台であった。
実は、その当時の銀行預金が残っていたので、その解約に行ったのであった。
銀行は、三井銀行(今は、三井住友銀行)と横浜銀行の2行。
青葉台駅を降りて外に出ると、全く面影の無い景色で、やはり東京圏は、変わり身が早い。
駅前に在る、横浜銀行も、全く覚えが無い。

手続きの間、ちょっと歩いて、成城石井へ行こうと歩き始めたが、途中に明治屋があったので、立ち寄っていたら、呼び出しが来てやむなく銀行に戻った。20年前は、明治屋は無かった。
駅前にあった、本屋もなくなっていた。何もかも新しくなって、感動も無い。
何とか手続きを終えてほっとして、どうしようかと一瞬思ったが、体は駅に向かっていた。そのまま、長津田へ行き、横浜線で新横浜行きの電車に乗った。

なんとも、無色の古巣行きとなった。

マナー2011年10月28日 18時50分24秒

私は、バスとJRとを乗り継いで事務所に通っている。
今朝、いつもの時刻にバス停へ向かい、バス停では待ち人が3人居た。
一人は、バスが止まる位置の車道側でないほうに待っていて、2人は母親と、ダウン症の男の子で、最初の一人より3人分くらいの間隔をあけて並んで?待っていた。
私は、いつもその間に入ってよいかどうか迷うのであるが、結局この3人分の間隔の間に入って、2番目に並んだ。
彼ら親子は、いつもつめずに並んでいるのである。

そうこうするうちに、もう一人が、やはりその間隔に入ってきて並んだ。私の後に。その後の女性は、さすがに気が引けたか、親子の後に6番目として並んだ。

そして、なんと、バスが来る反対側から、もう一人20台と思しき女性が来て、最初の一人の前に並んだのである。つまり、先頭の位置に。

実は最初の一人は、車道側でないほうの歩道に居たものだから(歩道は2メーターくらい幅があり、時々自転車が通るので、それはあけておくのが常識なのである)その間(車道側に近いほう)に入ったのである。
そして、バスが着たら、臆せず一番先に入っていった。

私は、並んでいる人も居たので、注意すべきか迷ったが、近所でもあるので、後々問題を起こしてはまずいと思って黙っていた。
じっと顔を見てやったが、全く、平然としていた。

今ごろの世代はみなそうなのだろうか。確かに、JRでも列の横入りする人はいる。並ばないで、ひょいっと。若い人に限らずである。

こんな事を言う私が古いのか、いまや、並ぶなんて事をしないのか、
朝から気分が悪かった。
かく言う私も、並んでいる人の間にはいったではないか、と自問しながら、まあいいか、というあいまいな自分も居る。

こういうことに、不愉快になるわたしは、かなり年を重ねたということだ。
もっとおおらかに生きたほうが良いかも。
そうすれば長生きできるかもしれない。

でも、これは性格だな。性分だな。ということは直らないということだ。
結果として長生きは無理だということだ。
それもまた、人生。