3.11に想う2016年03月11日 09時23分26秒

あれから5年がたった。
福島、宮城、そしてその周辺で被害にあわれた方々には本当に大変な5年であったと思う。
5年たった今、街の復興は遅々として進まないところもあると聞く。
街が復興しなければ人は戻らない。人が戻らなければ町は復興しない。
そして、これらに立ちふさがっているのが放射能の恐怖だ。
眼には見えず、においもしない、一見良さそうに見えてもひとたび被ばくをすれば、広島の被爆者同様に長い間苦しまなければならない。そんなところに誰が帰ろうか?帰りたいふるさとであっても、だれが安心して暮らせようか?

何とかしてほしい、何とかしなければ、とニュースを聞くたびに想うが、何ができるのか、東北へ行ってボランティアしようにもその体力もない。
本当に申し訳ないが、東北物産展があればせめてそれらを買い求めて消費することしかできない。

たまたま地震津波が東北地方で起こったが故の悲劇。
いつどこで誰の身にも起こり得る悲劇が、この地域で、私自身に起きたら、東北の人たちと同じように強く生きられるかどうか、全く自信がない。
が、この悲劇から学んだことを常に心に留め、いざその時に備えて対処しようと思う。

何を思い、何を求めてきた5年なのか、そしてこれからどうするのか、被災者のことを思えば思うほどに心が痛む。

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