今は、朝の5時半です。2008年10月17日 05時35分04秒

こんなに早くから何をしているかって言いますと、昨夜は眠れなかったのです。したがって、眠りと格闘しているうちに、疲れてしまって、エイヤーと、飛び起きたのです。
あまりにも早いので、何を書いてよいやら。そうだ、我が家の松ノ木をお見せしましょう。
花粉の元、美的外観の敵との観点から、思い切ってばっさり。枝葉だけの処理ですが、近いうちに幹も切る予定です。
切るのはよいが、その後の太い幹を処分するのに、頭を使う。ごみ処分場に持っていくか?
細切れにして、ごみとして出すか? の2通りがある。仕事は増える。

本日一人2008年10月18日 16時30分05秒

今日は、おかあちゃんは何やら1泊どまりの研修とやらで、留守。午前中に出かけた。
おかげで、独り身の自由な時間を過ごしているが、問題は、食事だ。
昼は、カップヌードルで済ませたが、夜はそうは行かぬ。何か作らねばと思っている矢先、新聞のチラシに空弁、駅弁のチラシが入っているではないか。これだ!と思い、早速スーパーへ出かけたが、時すでに遅し。(4時ごろ)跡形もなし。しまった。必ず朝チェックすべきであった。さあ、どうしよう。
ラーメンは冷蔵庫にあるが、昼ラーメン系であったので、夜まで食べたくない。ご飯を炊いて、おかずを作ってしのぐとするか?明日朝は、コーンフレークを買ってきたので、コーヒーとコーンフレークで間に合わせられる。昼は、ラーメンだな。そう、こうするうちに、帰ってくるだろう。これで、献立は出来た。4食分のうちすでに1食は済み。のこり3食だが、明日の分2食は献立済みなので、実質1食。
頑張って料理を作るか?
何にしよう?材料は?ご飯をまず炊いて。それから考えよう。最悪、昆布の漬物とご飯でもよいし、それで物足りなければ、インスタントの味噌汁もあるし。デザートは、カスピ海ヨーグルト。これでいいだろう。
栄養満点。メタボも解消に寄与するだろう。

生命保険2008年10月21日 17時49分19秒

本日、東京からわざわざ保険外交員が来るというので、名古屋まで母ちゃんと出かけ、落ち合った。昼食をしながら、現状の保険の説明を受けた。
実は、保険のことは今までほとんど不勉強であったため、よくわからなかった。そこで、昨夜、証書と約款を片手にいろいろと調べ上げ、本日、疑問として残った点を、外交員に確認した。結果として、保険料は安くはならなかったが、1-2年後には、変更が出来ることがわかり、そのほうが結果として得であることもわかった。
ただし、これは、母ちゃんの分の保険である。私の分は、今度、白内障の手術があるので、現時点では変更は出来ない。したがって、術後2-3ヵ月後に変更するかどうか、となるが、問題が出てきた。約5年ほど前から患いだした、気管支喘息が、新たな保険への切り替えに障害となる可能性があることである。たかが喘息というなかれ、これは命をも奪う病気であるため、保険上では、重要な病気なのだ。
もし、それほど重要な病気なら、保険に加入後に喘息になったのであるから、何らかの給付金が下りてもしかるべきであろうと思うが、これはおりないらしい。これがわからん。
もし、ガンの場合、加入後、羅漢したら給付金は下りる。加入前に、ガンとわかっていたら保険に入れない。理屈は、これと同じだろう。ガンも喘息も、命を奪う可能性のある病気なのだから。死亡率の違いはあるにせよ。

10月26日ホームカミングデー2008年10月24日 22時15分15秒

今年の10月26日は、早稲田のホームカミングデーの日である。卒業後、25年、35年、45年、50年経った卒業生が、学校に戻ってくる日として、記念式典が開かれる。
私は、今年で35年になるので、学校から招待状が届いたので、友人からの「来ないか?」の声に誘われて、1泊で明日出かける。
友人は、クラスの友人で、一般に大学でクラスがあるというのは珍しいと思うのだが(他大学のことは知らない)早稲田の商学部では第2外国語別にクラス分けがされていたので、いずれもスペイン語を取った連中である。
他に、サークル別に集まる手もあるのだが、今回はサークルの誰も、声をかけてこなかったので、こちらから敢えてアクションはとっていない。だって、重複したら、困るだろう。式典の後、大体友人と集って、飯を食ったり、酒を飲んだりしながら、35年前に戻るわけだから、掛け持ちするわけにはいかない。時間を分けて、やることが可能なら、積極的に声をかけて、あらゆる友人に会うだろう。でもそれは不可能だ。
クラスの連中とは、2年前に、商学部の学舎が立て替えられるので、記念式が行われたことがあった。そのときには、私が声をかけて、皆で集まり、ついでに、その頃遅い結婚をあげた友人のお祝いをかねて、彼の家(早稲田の近くだったので)で祝賀会を催したことがある。今回は、その延長線上ということか。

卒業後35年というけど、年齢は60近くなる。次回は45年なので、正直のところ、4人全員が会えるとも限らない。もうそんな歳になったということで、先のことはわからないから、記念に皆出会おうではないか?ということで集まることにした。4人の仲間だけれど、一度に会うことはなかなか出来ない。何か大義名分が必要である。もっとも60歳をスギ、現役を退けば、今度は逆にいつでも会えるのかもしれないが!

いずれにせよ、楽しみな東京となりそうである。せいぜい楽しんで、また10年後に会うことの楽しみを、作ることにしよう。

ホームカミングディにいってきました。2008年10月27日 20時47分33秒

10月26日に早稲田の戸塚記念会堂で10時半から開かれた式典に参加した。12時までの予定なので、一体何をするのか?長いという思いであった。ところが、10時半になると、初っ端から応援団による、第2校歌といわれる、紺碧の空で始まり、早稲田の応援歌を披露いただいた。この時点ですでに、35年前の早稲田の学生に戻った。
次に、総長始め、来賓の方々が入場されて祝辞、式辞のご披露。夫々は長いスピーチであったが、ところどころに聞かせる部分が入っていて、さすがに長とつく人は違う、と素直に思った。
早稲田OBは54万人だそうだ。日本の人口が平成20年の10月概算値(総務省)によれば1億2771万人だそうだ。0.4%の人が早稲田OB,OG、学生ということになる。1000人に4人が早稲田って、かなり凄くない?!徒党を組めば、何事も動かせそうな人数である。でもそこが、早稲田たるゆえん。ちっとも徒党を組まないので超有名である。したがって、慶応にも、その結束力で、一歩も2歩も遅れを取っている。
でも、早稲田たるゆえん、誰にも頼らず、我行かん、と思えば突き進む、この精神を、今後も引き続いてもらいたい。
ホームカミングディ、35年目に出席するため2日掛りで出かけ、初日は早稲田のK氏と武蔵野を散策し、昔の下宿やを訪ねたり、JAZZ喫茶へいってみたり、さらには昼から蕎麦屋で一杯と、実に中身の濃い初日であった。
2日目が、冒頭のホームカミングディとなる。式典では、涙もろくなった自分を痛感し、校歌を3番まで歌っているうちに感無量。あわや、ぽろりとなるところであった。
そして、式終了ごろに、横浜のH氏と大井のN氏が合流し、久しぶりのクラス会。
いやあ、楽しかった。はるばる名古屋から出てきただけのものを、今回は充分につかんだ。
朋遠方より来る、また楽しからずや。
これから、なんども会いたい。そのために、横浜でも、鎌倉でも、大井でも、行く用意はある。あなた方も、是非我が家へ来てくれ。
大歓迎するよ。昔に戻って、もう一度青春をしようよ。我が朋よ。