大学ラグビー決勝戦2016年01月11日 10時10分49秒

まずは帝京大学の前人未到の7連覇におめでとうを言いたい。

今朝の朝日新聞では、学生の考える力、判断力をその勝因に挙げていた。
18歳から22歳くらいの大学生は、もう大人である。体は申し分なく他の誰にも見劣りしない、が心はまだ未成年から成年への過渡期にある。
その過渡期にある彼らが、ゲームで勝つために何をすべきか考えるのは当然であり必然だ。
勝つために厳しい練習をして、さらに考える力、ゲーム内での判断力がついたらまさしく鬼に金棒である。

では、考える力とは何か? 判断力とは何か?
おそらくスポーツしている学生のほとんどは、それぞれに考えて行動していると思うが、その中でも意思統一がされているかでゲームに差が出てくる。つまり、学生それぞれが違った考えをして違う方向を向いていたら、1+1=2にならない。それが15人ともなればマイナスばかりで、本来の15の力を発揮できないで負けるのである。
15とするには、考えた結果の統一が必要なのである。
それを誰が行うのか。監督、コーチはそのために必要とされているのである。

個々の考えを確認したうえで、力を最大限発揮できる戦略を首脳陣が作り上げ、チームとしてプラスアルファの要因を加えて準備をしていくのである。

ゲーム戦略はこのようにして整っていく。そしてゲームが始まる。
しかしながらチームの戦略は練れても、天候はコントロールできない。
例えば強風荒れる天候でであったり、芝の状態が悪いグラウンドであったり、まちまちだ。
しかし、これらは両チーム同じ条件だ。問題は、ゲーム中に味方が怪我をしたりした場合に、代役を立てるがうまくいかなかった場合など、予期せぬ事態にどう対応できるかだ。これが判断力だ。
アンコンストラクチュアルな状態の時に、どのように対応するかは、チームのみんなの考えを知っていて、ゲーム戦略を理解していたうえでの、個々の判断力である。みんながこのように動いているから、このようなプレーすればきっとうまくいく、みたいなことだ。

帝京の面々はこれが素晴らしいと朝日新聞は述べている。まさしくそうだろう。

社会に出ていろいろな意味での勝負をしていく中で、個々の考え、判断力は常日頃試されているのである。