今日の天気 ― 2023年05月13日 16時55分45秒
朝から曇り空で、午後になって雨が降り始めた。
気温も長そでシャツでは寒いくらいで上に軽いものを羽織っていればよいくらいの暑さというか、寒さかな。
さて5月も半ばになり、気温も全般的に上昇気味でこれから熱中症対策が声高に叫ばれてくるだろう。
我が家もやっと1回目の庭掃除を終えようと、とは言ってみてもまた2週間たてば2回目を検討しなくてはいけなくなるのではないか。
ちっとも追いつかない。
理想的には、先回りをして先手先手が望ましいのだが、やることがたくさん有って後手後手の状態だ。
でもここでプレッシャーを感じずにむしろ楽しむくらいの余裕を持ちたい。もう若くないのだから、できる時にやる、くらいの気持ちで十分なのではないか。
今できることをできるうちに行えばよい。できなければ次の段階を考える。
第三者に頼むとか、もちろん有料になるが。
無理をして取り返しのつかない状態になることだけは避けねばならない。
そんな気持ちになりつつある。が、反面まだできると思いたい自分がいることも事実だ。
もうじき73歳になる。
前期高齢者もそろそろ卒業か?
暑い夏がまたやってくる。今年も今のところ生きて過ごせそうかな?
4月1日 ― 2023年04月01日 12時02分50秒
1月15日以来途絶えているブログ。
今年は1月に学生時代の親友の訃報を聞いた。
彼は東京で布団屋さんを家業として40年くらい頑張ってきた。
その元気印の彼が、脳梗塞に倒れたのは3年くらい前か。
その後、彼から直筆で年賀状を頂いた。明らかに回復を示す筆記だったので順調に回復しているなと思いうれしかった。
そして同じ年だったか、彼からの電話ももらってしばし話をしたものだ。そして思った、回復は間違いないと。
ところが昨年に共通の友人から、彼に連絡を取ろうとしたが、固定電話も、携帯も一切つながらずに連絡が取れないと電話を受けた。
彼は、心配となってメッセージを留守電に入れておいたらしい。しばらくして彼の奥さんから彼は「うつ病」を患っていて入院しているとのハガキを頂いた由。
おいおい、あの彼が一体どうしたのだ。
いつも明るく、元気で、自由気ままに人生を楽しんでいるように見える彼にいったい何が起こっていたのだ、と。
そして今年の1月に彼の訃報を聞いた。誤嚥性肺炎だったとのこと。
この時以来全く気が抜けた。彼の思い出が頭をよぎる。箱根のオリエンテーションから今まで思い出は限りなく。。。
とにかく信じたくないので、おさらばは言わない。
いまでも、彼の顔、声はしっかりと胸にある。
今日4月1日はエイプリルフール。どうかこの話がそうであってほしい。
その後 ― 2023年01月15日 17時54分19秒
1月8日のラグビー大学選手権の残酷な結果から1週間がたった。
ある程度の結果は想像していたとはいえ、あまりにも差が大きくショックだった。
前半は、選手諸君の意思が強く感じられ、ある意味安心したゲーム内容だった。
後半になると、前半での使い果たした体力の結果か、ボールが取れない。ゆえに自分たちのラグビーができなくなってあのような大差になった、と理解する。
それほどまでに個々の力の差が大きかったということだろう。
今までの私なら、すぐに監督交代、選手リクルーテイングの抜本的な改善、などを望んだだろう。結果を求めるあまり外野席から言いたい放題なことを考えたかもしれない。
でも、実際戦った選手たちの特に4年生の声を聴く限りにおいて、一番悔しいのは我々OBではない、彼ら選手たちなのだと思った。
ここは彼らの打ち負かしたい気力、意志力、体力に任せて来年それを表してくれればそれでよいのではないか。勝てる保証はないけれど、勝つための方策を打ち出していってほしい。そのような組織になってこそ、我々ファンは応援する気になるのだから。
いつの日か、必ずや「荒ぶる」を歌う日が来ることを信じて、また応援しよう、と今日は冷静なコメントになった。
新年のご挨拶 ― 2023年01月08日 12時12分01秒
令和5年(2023年)もスタートしました。
長らくご無沙汰してますが、本年もこの調子でよろしくお願いします。
さて、早速ですが今日は大学ラグビーの決勝戦です。
私の応援する早稲田ラグビーが難敵帝京大学に挑みます。
私の予想では、勝ち目はかなり薄いとみてますが、そこはゲームです。やってみないとわからない。。
そこで勝敗はともかく私が見てみたいポイントは、何を武器に戦うか?強い相手と戦うには自分の強みを生かすか、相手の強みを消すか、しかないので、どこに焦点を当てて戦うのか、そこを見てみたい。そしてこれが上手くはまれば勝機はありとみる。
したがってそのところが明確に見えるかどうかで、学生たちを評価してみたいと思ってます。
そういう意味では、人生に通じる戦いと位置付けますが、如何に。
昨日12月3日は記念日 ― 2022年12月04日 11時45分10秒
なんとあの日から丸2年が過ぎた。
今日の日を迎えられるとは想像だにしなかった。
そう、家内が入院した日だ。そして入院した病院で家内の命についての重大な宣告を受けた日だった。「いつどうなってもおかしくない」
でもでもあれから奇跡的に回復して今日がある。
今でも病気とは戦っているが、薬のせいで何とか小康状態というのか、安定した状態で生活できているのがうれしい。
本当に人間の生命力の強さを知った出来事だ。
一方で一昨日訃報の知らせを受け取った。
会社の先輩で、独身寮、仕事上での関連、家の近くなどもあって、結構近しい人だったのでショックだった。病魔と闘っていることは聞いていたが、最近ではそれなりに良いニュースも聞いていたので。
それにしても悔しいこの3年程度のコロナ禍による社会との断絶だ。
社会全体での自粛が始まり、普段交流していた人々とのかかわりも切れてしまった。
毎年5月ごろに岐阜のBBQも途切れ、聞くところによるとそのメンバーの数人もあの世へと旅立った由。
数ヶ月に1度くらい飲み会を行っていたメンバーとの交流は途切れ、メールのみでの交流で彼らの詳しい消息は分からない。
神奈川横浜にいる大学時代の親友も、このところ体調を崩し彼からの情報が途絶えている。
これもそれもみんなコロナが悪い、と八つ当たりしている。
政府に、医療機関に。
でも、答えは返ってこないし、結局自分がこのコロナ禍の世界に、どのように生きていくか、自分で見つけ出していくしか方法はないことを思い知らされる。
最後に、家内の今後の長寿を祈念しつつ、
亡くなった友人たちへの哀悼の意を表したい。
2022年寅年十二月
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