3月1日2017年03月01日 23時20分14秒

早くも3月です。

3月といえば弥生。3日には弥生の節句、ひな祭りだ。
昨年娘に女の子の孫が誕生し、女房がひな人形を買ってあげたとか。たぶん3日の日は、何かするのだろうな。

3月の声を聞けば、いよいよ春の訪れが待ち焦がれる。
我が家の庭にも、水仙、アイリス、梅の花が咲きだした。
まだ寒い日はあるが、太陽の光は暖かく、草木が一番よくそれを感じている。
おそらく今月末ごろには桜が咲き、花見のシーズンとなるだろう。

今日3月1日に孫がやってきた。
2-3週間ぶりなので本当に久しぶりの御対面だった。

よく見るとかわいい手足には、爪が伸びている。
この爪を切るのが私の役目なので、早速寝ている間に、爪を切り始めたが、不覚にも指の肉も少し傷つけてしまった。
痛かったのだろう、寝ていた孫は泣き始め、指からは出血が見られた。
爺爺としては面目丸つぶれだ。
幸い大したことにはならなかったと思うが、合わす顔がない。

反省しきりの3月スタートとなった。


花粉が。。2017年03月04日 09時30分10秒

昨日の昼、不覚にもマスクを忘れて外に出た。
仕事仲間とともに昼食を摂りに行ったのだが、外の強風に驚いた。
午前中に会った人から、外の花粉がひどいのでマスクをしてます、とのコメントを聞いたにもかかわらず、マスク着用を忘れたのだ。

ビルの合間のビル風、もともと雨上がり(前日)の後の等圧線の関係での強風など重なって本当に風が強く、思わず体を屈めるほどだった。

それは食堂にある地下街に入るわずか数分のことなのだが、風の強さと寒さに驚いたし、後悔もした。

そして昼飯から帰って、気づいた。内ポケットにマスクが入っていたことを。
時すでに遅し、事務所のあるビルは目の前だった。

その夜、妙に寝苦しい(これはいつものことだが、)。鼻が詰まるのだ。もしかして、、、、、。

寝床で考えても仕方がないので、いったん起きてリセットを心がけテレビを見てしまった。
若手落語家日本一なる番組が行われていて、これまた付き合ってしまった。
そして、そして寝床へ戻ったころには、花粉症のことなどほとんど(さすがにすべては無理だった)忘れ、幸いにも朝まで眠れた。

教訓 油断大敵。 
治ったと思った花粉症も、いつまた発症するかもしれず、日ごろの対策を忘れずに。

Facebookトライ2017年03月07日 09時57分22秒

先週、よろず支援拠点のコーディネーターの方が「FBを始める方向け」のセミナーを開くというので参加した。

Facebookは既にアカウントを持ち、コメントのみ発している状態で消極的参加をしているのが現状だ。
この状態から、積極的活用をしていこうという思いで、セミナーを聞き資料も頂いた。

そして、家に帰って早速会社版FBの開設、了解してもらえそうな友達に「友達要求」をして、「いいね」を獲得する算段をして実行した。

ただ、残念なことは情報として提供できる内容に至ってないことだ。表紙はブランクのままだし、いたるところに不備がある。
拙速を旨とする私にとっては承知の上なのだが、あまりにも拙速すぎる感がある。

まず表紙を固め、形を少しでも整えてから内容の充実に努めようと思う。
課題は、ブログとの共用だ。
すみわけをきちっとして、ブログでの情報、FBでの情報をわきまえていかないと、混乱をすることになる。いや、私自身が混乱している。

私の中では、Web siteは会社案内用として、Blogは日記用として、FBは携帯を使用することにして、日常の想いを、情報を定期、不定期問わずに発するもの、としている。

さてさてこの試み首尾よく行くか?

梅の花2017年03月08日 09時19分18秒

強風吹き荒れた昨日。
女房は借りている畑へ独り出かけた。

昼頃に車で出迎えに行ったところ、春らしい光景に出会った。

モンシロチョウが一羽草むらの中で遊んでいた。
この春初めてだ。

そして、畑周りには紅梅の木、白梅の木がある。
その白梅の木に、太陽が差し込んでいる部分ではすでに花開いていた。

こんな強風の寒い日でも、気温が高くなれば花は咲く。

毎年みられる光景だろうが、自然は確実にその生活リズムを刻んでいく。
多少の早い、遅いはあるものの。



3.11大震災2017年03月11日 09時42分14秒

あれから6年。
あの時私は、元勤務先(名古屋)の会議室にいた。

午後2時46分。ゆらーり、ゆらーり、と体が揺れるのに気づいた。窓に掛かっているカーテンが横に揺れ、天井の明かりもゆっくりとしたリズムで揺れている。 ん。?!

同じく会議出席者の一人が、おかしいと気づきスマフォで情報検索している。
地震だ、と思うに時間はいらなかった。

とっさに、部屋のドアを開けとくように事務方に伝え、しばらく様子を見る。
その間情報はみるみる膨れ上がり、遠方から来ている人の帰りが心配になりだした。

会議(業界の産官学会議)参加者は、中部地区を中心に、九州から来て見える人もいるので、遠方の人はとりあえず帰宅してもらい残った人で会議は継続した。

名古屋においての当時の様子はこんな程度であった。
そのあとの悲惨な状態は言うまでもない。

神戸の大震災のときもそうだった。
明け方、2階で寝ていた私は、ドスーン、という揺れに驚いて目が覚めた。地震だ、と思ったが眠気が勝っていた。

朝のニュースで知らされた。見る見るうちに膨れ上がら惨状。
これが地震の怖さだ。被害が続々と報告され、言葉もない。

日本は地震列島。地下にいくつもの断層が走っていて、それがいつ何時動き出すか、だれも知らない。
特に太平洋側には、東海、東南海、南海の3つの地震が予想されている。

災害は忘れたころにやってくる、という。
神戸、福島の大震災を忘れずに、一人一人が命を守ることを本日改めて認識し、心に留め置きたい、と思っている。